エネルギー問題に対する国としての方向性に疑問を感じている。
もし原発が必要悪とされるなら、新規建設や各地で相次ぐ原発事故で大量の税金を費やしている現状を転換し、その他の新たなメインエネルギー開発に費やすべきと思う。

原発を増やしてきた理由は核兵器やいろんな利権が絡むが、ひとまずはCO2削減と火力発電の資源の枯渇、高沸を懸念し稼動を始めたということにしてみよう。
原発を他の事で例えると、ある工場で売り上げの90%を占める売れ筋商品の製造が原料の枯渇で不可能になりそうである。仕方がないので代用の原料で製造を続けているが、この代用原料、実は雷に打たれると大量の毒ガスが発生し、大地も汚染される、さらに工場では埋めるしかない毒ゴミが出るという代物。まあでも雷に打たれるなんてことはまずないでしょうと。
あなたはこの製品を買うだろうか。
原発とは地球全体が毒に汚染される可能性があるものを目先のエネルギー確保のために運用しているのだ。

原発の運用は、解決されていない廃棄物処理、事故汚染後の処理を楽観視した挙句、問題解決を後世代に丸投げしている。
そのうち何とかなるさ状態で運用を始め、今回の福島の事故で目を背けていた現実に対峙することとなった。
この状態は進行形で今後も甚大な事故が起きない可能性はない。

原発の危険性は、事故が起きたとき、解決の不可能な汚染状態に陥ることだ。
原発の運用はまさしく責任のないやり方といえる。事故が起きたときの言い訳は「想定外」のみである。
「想定外」の事故は必ず起きると言ってもいい。間違いなく言えることがある。自然というものは「想定外」なものである。
ついでに言わせてもらえば「想定」が楽観的すぎる。ここで「想定」するならば最悪の状態、たとえば原子炉が再臨界し、圧力容器もろとも大爆発で吹っ飛んだことを「想定」すべきであろう。
その「想定」で、付近住民の安全確保と事故前の状態に復帰できる方法を見出してから運用に入るのが責任ある大人の行動というものであるが、それは無理な話である。
飛散したあとの放射性物質は全世界に行きわたり、時間でも操作できない限り取り返しはつかないだろう。
よく、原発推進派の人が「あなたは事故の可能性がある飛行機などには乗らないのですか?」という質問をしているが、それを聞くとお前はアホかとひっぱたきたくなる。
ハッキリ答えたい。飛行機事故では地球人類の生活は脅かされない。


問題の一つである現在の電力需要をいきなり大削減することは難しいかもしれない。いろんな人があり、事情がある。
だが不可能ではないと思う。可能な人は削減すればいいのだ。
俺一人が省エネしたことで何も変わらないとか、不平等だとかそんな考えはいらない。
ただ、実行すればいいのだ。そこに損得はあまり関係ない。ただ、誇れることだ。
日本人はそんな国民性であると思いたい。それが先進国というものではないだろうか。

現状稼働中の原発をすべて即刻廃炉にすることは不可能であれば仕方がないことかもしれない。
これまで原発が稼動してきた間、情報操作はあれど無知で無関心だった自分とも向き合えた。
あまり興味がない人には、福島以外にも、あまり報道されないがとても危険な状態にある原子炉がいくつもあることも知ってほしい。
福井の「もんじゅ」は中でも相当危険な状態が続いていた。是非調べてみてほしい。
国としては、エネルギー需要の削減、代替エネルギーの開発に力を入れ、これ以上原発を増やすこともなく、卒原発に向かってほしい。
また、情報は惜しみなく提供し、責任ある大人の行動を心より願っている。